つばきの毎日

18歳の日々

統合失調症、発症時のはなし②

今から話す話は、あくまで一例です。

全員が全員私のような症状なわけではないことを念頭においてください。

 

 

そんなこんなで高校2年生になったわたしは夏あたりから聴覚過敏、視覚過敏に悩まされるようになります。

横断歩道の白線がまぶしくて見れなかったり、掃除機や食器を片付ける音が耐えられなくなりました。

 

通学の電車では耳栓をするようになり、外では黒いサングラスをするようになりました。

自分では、おかしいとは全く思いませんでした。

 

そのころからわたしは、友達とは全く話さなくなり笑顔もなくなりました。今は覚えていないのですが、友達曰はく話しかけても無視されたようです。

 

そして冬になり、母方の実家に行くことになりました。

母がいうには、そのあたりから支離滅裂で論理的でない意味わからない発言をしだしたそうです。

 

そして元旦、私は当時していた妄想、強い思想を学校のクラスのグループラインで発信しました。何人かからは、「大丈夫?」とラインがきました。

 

翌朝、私は「町に出て歌で日本を救わなければならない」と思い、街に出ました。家族は私を引き留めましたが、走って逃げました。

「ペットは野生に帰りたいんだ」という思想もあったので、近所の外飼いの犬を放しました。

 

突然、電車に乗らなければならないと思い、乗りました。

 

そして、電車の中で泣き叫びました。「私だって死にたかったよ!でも頑張ったんだ」と叫んだのを今でもおぼえています。なんでそう言ったのかはわかりません。

 

駅を降りて、改札を出て、駅構内のコンビニでわざと倒れました。

救急車を呼ばれて担架ではこばれましたが、救急隊員に「こんな仕事して楽しいのか!」とどなりつけ、走って逃げました。

 

「私が歌えば日本は救われる」と思っていたので、町中で泣きながら歌いました。

 

なんで私は救世主なのに、みんな私を避けるんだ、と思った記憶があります。

 

今思えば、電車に飛び込んだり、希死念慮(死にたいと願うこと)がなかったのが不幸中の幸いでした。

 

さらに運のいいことに、わたしはそのまま、交番に行きました。

交番の人に、思想を伝えようとしたのですが、警察署に連れていかれてしまいました。(そりゃそうだ)

 

そして、家族もきて、精神病院に連れていかれました、、

 

 

 

文章が拙くてわかりづらいですが、こういった流れで精神病院に緊急強制入院することになります。

次回は精神病院に着いてからの話をしたいと思います。