つばきの毎日

18歳の日々

統合失調症、発症時のはなし④


今から話す話は、あくまで一例です。

全員が全員私のような症状なわけではないことを念頭においてください。

 

だんだんと症状が治まるにつれて、自分の置かれている状況を理解し始めました。

精神病院にいること

統合失調症と診断されていること

3か月くらい入院しなければならないこと、などです。

 

看護師さんとも落ち着いて話せるようになりました。

 

ある看護師さんは、私に腕の傷を見せてきました。

それは私が暴れたときにできた傷でした。

 

本当にごめんなさい、殺されると本気で思っていたんです、と謝りましたが、病気だから仕方ないよと言ってくれました。

 

このあたりからわたしは、今まで自分がしてきたことの異常さに気づくことができるようになっていました。

 

でも妄想は完全に治っていたわけではなかったので、「今日は太陽が私の思い通りになっている」などと思うこともまだしばしばありました。

 

そのころの私は、とてもポジティブでアクティブでした。拘束は外されていたので、鍵のかかった部屋の中で自由に走り回り、飛び跳ね、歌を歌い、ダンスを踊りました。躁状態です。

 

昼間は看護師さんに頼んでクレパスと紙を持ってきてもらい、ずっと絵をかいていました。

 無機質な部屋を何とか明るくしようと思い、絵をたくさん描いて、飾りました。

 

絵を描く日々を送りつつ、おふろの日がきました。

そこで私は、自分以外にもたくさんの患者さんがいることを知りました。

 

とはいっても、みんな自分より年上の人でした。

 

今まで、「私と、看護師さん」という目線で見ていた世界はガラッと変わり、「たくさんの患者と、看護師さん」という仕組みの中に、一人の患者として自分は存在しているだけなんだなと思うようになりました。

 

看護師さんは忙しそうです。

 

その日から、「今まで迷惑かけた分、看護師さんにもう迷惑はかけたくない」という思いが強くなりました。

 

ナースコールをすることもなくなり、お風呂も全部自分でやるようになりました。

 

ある日、「つばきちゃん部屋移るよー」と言われました。

やっと保護室から出られるようになりました。退院への第一歩です。

 

保護室にはむき出しのトイレと、監視カメラ、拘束具付きのベッドしかない一方、新しい部屋はトイレに扉がついていて洗面所や鏡まであったので、とてもうれしかったのを覚えています。

 

この時点でだいたい入院してから3週間ほどたっています。

 

部屋に移ってから割とすぐ、食堂で食事をとるように勧められました。

今までは、自分の部屋で食事をとっていたのです。

 

私は、お風呂以外の時間に部屋の外に出られることはなかったので、食堂で食べますと即答しました。

 

 

 

 

今回はこの辺で、、

次回は二回目の部屋移動あたりまでかけたらいいなと思います。