つばきの毎日

18歳の日々

統合失調症、発症時のはなし⑤

次の日から、私は食堂で食べるようになりました。

 

たくさんの患者さんと並んで、向かい合って食べます。

たくさん人はいるけれど、話し声はしません。

 

誰も話さないので、私も話しませんでした。

話さなくても、いいのです。

今まではずっと部屋で一人で食べていたので、人と一緒に食べるのは楽しいと思いました。

 

ご飯を食べ終わったら部屋に戻ります。

鍵をかけられます。

 

ご飯と週3日のお風呂の時間だけ部屋の外に出られます。

 

私が人と話をするのは、毎朝の検温だけでした。

看護師さんと二言くらい話します。

 

何もない時間は、ただひたすら寝ていました。

 

統合失調症は、急性期のあとに、休息期とよばれるものがきます。

休息期はとにかくずっと眠くてだるかったです。

 

絵を描く気にもなれませんでした。

 

そんな日々が続いたある日、「OTいかない?」と看護師さんに言われました。

OTとは、作業療法のことです。

塗り絵をしたり、ミサンガをやったりします。

 

寝るのにも飽きていたので、やります、と言いました。

 

私の病院では、平日は毎日昼に一時間くらい、作業療法士の方が来てOTができました。

塗り絵や迷路、ミサンガ、漢字検定、パズルなんかがありました。

 

OTがあるかないかでは、私の入院生活はおおきく違ったと思います。

頭の体操にもなったし、人とのかかわりも持てました。

 

そうしてOTとご飯とお風呂の生活を2週間くらいして、ようやく施錠なしになりました。いつでも部屋の外に出られます。

とはいっても、閉鎖病棟なので病棟外に出ることはできません。

言い忘れたけれど、閉鎖病棟なのでスマホや電子機器も禁止です。

 

施錠なしになってからは、暇なときは部屋の外に出てできるだけ歩くようにしました。

病棟内の廊下は、常に徘徊している人でいっぱいです。

 

全員がゆーっくり歩いています。私も、筋力が落ちていたので、そんなに早くは歩けませんでした。

 

一人で歩いている人がほとんどですが、集団行動しているおばさんグループもいました。

若いので、よく声をかけられました。

「何歳?」「なんで若いのにこんなところにいるんだ」などなど、、

 

そうして徘徊したり、OTに参加したりしてすごしていたら、「部屋移動するね」と看護師さんに言われました。

2回目の部屋移動です。

 

移った部屋は、広い緑が見渡せる、景色のいいところでした。

そして、テレビや冷蔵庫もついています。

 

本来は症状が治まってきたら、大部屋といって複数人いる部屋に移るのが一般的なのですが、年齢が若いこともあってわたしは個室にずっといることになりました。

 

このころは、休息期もだいぶ終わって、回復期に入るところだと思います。

昼寝の時間も短くなって活動的になり、絵をまたかくようになりました。

また、このころから日記をつけ始めます。

 

妄想や幻聴も薬のおかげでなくなりました。

 

 

読んでくださりありがとうございます。

次回は退院までの道のりを書きたいと思います。